山田純平が天職を見つけるまで(その4)

この記事の目次

自分の時間や幸せは誰のもの?

母親を悲しませないために、収入が安定した会社員をしていたことに気づいてから、まずは母親への囚われを手放す必要があると感じました。

自分の人生なのですが、母親のために生きていたとは、、

もちろん、母親は子供のために良かれと思って、良い大学、良い会社への就職を望んでいたのでしょう。

母親の愛情とは大きいものですね。ありがたい。

ただ、自分が安心・安全と思う道よりも、望む人生を生きたいほうが本音です。

そのためには、このズレを補正していく必要があると感じました。

いったい今の自分の時間や人生は誰のものなのか?

考えなくても分かります。もちろん、自分です。

でも、母親も悲しませたくない。。と思ってしまう。

矛盾している感じですが、よくある事かもしれません。(この対象は親だけでなく、会社だったり、お客さんだったり、パートナーだったり、子供だったり、、と様々だと思います。)

ただ、母親が望んでいることを、もっと本質的に考えてみると、

「自分の子供が幸せになってほしい。」ということだと思いました。

親の観点から、それはいい会社に入って定年まで仕事をして、年金で余生を過ごすこと。というだけです。

私の幸せの基準は「自分がやりたい事をして、後悔しない人生を生きること」

お互いの幸せの基準が違っていただけで、私が幸せになれば親も私もハッピーになるでしょう。

そう気づいたらあとは母親に伝えるだけです。

その時は「よし、会社を辞めて自分の人生を生きるぞ!母親にそう伝えよう!」と思ったのですが、いざ、母親を目の前にすると怖くなってきました。

感情は誰にでもあるので、怖れがゼロになることはないのかもしれません。
ただ、それを乗り越えて、自分の道を進むと決めた時に、人生が変わっていくのだと思います。

そして、いつ母親に伝えようか色々と考えて、母親が比較的ゆとりのある日曜日の夜に決めました。

母親がテレビを見る時間を避けて、ゆっくりと自然に話ができそうなタイミングを見計らって伝えることにしました。

コミットが自分の人生を変える。

会社員にしがみついているのは、母親を悲しませないためと気づき、それを手放すために会社を辞めようと決めました。

その事を母親に伝えるべく、日曜日に夜の時間を設定しました。

今から思えば、大したことがないのですが、その時は心臓が張り裂けそうなくらいドキドキしたものです。

これが恋愛ならよかったのですが、退職の連絡でした。(笑)

母親がテレビを見終えたくらいのタイミングで、

「自分がやりたい事を探すために、今の会社を辞めることにする。」と伝えました。

私の想定では、「あんた、何言ってんの?」という返しがくるものと思って準備していましたが、

意外にも簡素な「あんたがそうしたいなら、いいんとちゃう。」という回答でした。

どこか諦めのような雰囲気もあり、コミットする重要性を感じた体験でした。

拍子抜けの感もありつつ、これからどうしていくのか?という話をして、その場は終わりました。

何かをすると決めた訳ではありません。

自分がやりたい事を探す旅の始まりを決めただけです。

でも、このコミットが大きな流れを生んでいくのでした。

会社へ辞表を提出するシュミレーションをする!

母親に会社を辞めて、自分がやりたい事をして生きていく。と告げて、心の荷が降りた感じがしたのですが、会社にはまだ辞表は出していませんでした。

その時は4月で上司が変わって、新しいプロジェクトに入りたての状態でした。

会社としては一番バタバタしたくないタイミングかもしれません。

などと、自分の人生より会社の都合を気にしてしまうところが、まだコミットが弱いということかもしれませんね、、

ただ、母親に告げてしまったので、後には引けません。

会社に辞表を提出するならなるべく早いタイミングのほうが、私にも都合がいいですし、会社にも都合がいいと判断しました。

プロジェクトにがっつり入ってからだと、引き継ぎ等で辞めるまでに時間がかかるものです。

ですので、早速、辞表を書くことにしました。

ネットで「辞表の書き方」を調べた後、会社のファイルサーバーから辞表のフォーマットを探し出しました。

同期にも退職する旨は伝えていなかったので、辞表のフォーマットを探す際も周りにバレないか?ちょっとドキドキしました。(笑)

そして、会社で辞表を書いて印刷まで済ませました。

その日は一旦辞表を持ち帰り、上司に伝えるタイミングを考えることにしました。

会社のお偉いさんからは結構良くしていただいていたので、「あの人とあの人には引き止められるだろうな。」などと推測しながら、何度「辞める」コミットを試されるのか考えていました。

まぁ、会社からしたら、何の前振りもなく、いきなり「辞めます!」と言ってきたという状況になるので、みなさんびっくりするのが普通だと思います。

ただ、自分の決意が固まる前に相談すると引き止められますからね、、みんなには内緒で進行していました。

結局、引き止められるための話し合いは3名くらいだろうと推測し、その時のシミュレーションをして、「辞めます!」の練習をしました。

M-1グランプリなどで芸人さんが出番前に壁に向かって練習している雰囲気が、なんとなく分かったような気がしました。(笑)

引き止められても、頑として断る覚悟でシュミレートしてみたのですが、結構ビビって緊張しましたね、、

何度もシミュレーションして、徐々に辞めるコミットを固めていきました。

そして、いよいよ、上司に退職を伝える日がやってきました。

頭の中は仕事どころではありません。

相手の反応に対するドキドキと辞める罪悪感が入り交ざった複雑な気持ちを感じながら、話し合いの場を設定するのでした。

安心・安全は変化しないための甘い罠?

その日は実際に上司の行動を見ながら、退職を伝えるタイミングをはかっていました。

30分ほど時間をとってもらう必要がありますからね。

午前中だと、退職を伝えた後に会社にいる時間が長くなるので、結局は夕方に伝えることにしました。

上司に「ちょっと話があります。」という感じで打ち合わせルームへ移動。

上司は怪訝そうにしていましたが、何かが私から出ていたんでしょうね。(笑)

そして、前振りもそこそこに退職の事を告げました。

4月のことだったので、上司はびっくりして困った様子でした。

上司からしたら、今年度はこのメンバーで1つのプロジェクトを団結して推進していこう!と思っていた矢先のことでしたからね、、

上司は自分に落ち度はあったのか?と何度か聞いてきましたが、もちろんそんなことはありません。

単純に「自分の人生はこの場所では満たされない。」というだけでした。

上司から、すぐには回答がなく、一旦持ち帰りとなりました。

こちらとしては、ここが踏ん張りどころ、試されどころだと感じ、退職の思いは変えることないよう、その後も何度も自分の心を固めていました。

やっぱり初めての退職でしたし、次がないのに職を手放すのは怖いものです。

でも、それ以上に自分の人生を生きたかったですね。

安心・安全な毎日は心地よいものですが、より自分の生きたい人生へ変えていくには甘い罠でもあります。

失敗する怖れ、未来への不安もバリバリありましたが、自分らしい人生への変化を求めた瞬間です。

この経験から、清水の舞台から飛び降りる覚悟が少しわかったような気がしました。

「やるしか無い。」以上!!

結果が保証されていては、大きな変化への一歩は難しいものなのでしょう。

安心を感じる範囲は、今まで自分が経験した、知っている範囲ですからね。

そこから出るときには、手放す必要がある訳です。

そして、元に戻ろうとする自分のこころを振り切って、次の一歩に進み切るまでが大事だと思いました。

このまますっと終わる感じでもなく、上司に退職を伝えた後、何人かの人から引き止めるための話し合いがありました。

3回の退職引き止めで、コミットを試される。

上司に退職を伝えたあと、家に帰ってこれからの引き止めについて考えていました。

3名くらいは退職の引き止めがあると想定していたからです。

必要とされていることはありがたい話なのですが、それよりも自分のやりたい事をする人生へ進みたかったですね。

このあたりの自分の心のせめぎ合いも、コミットの度合いが試される感じがします。

「必要とされている今の会社でいいじゃないか。」という、ささやきに耳を貸してしまいたくもなるものです。(笑)

これは、トラウマの影響で自分の価値がないように感じてしまうためと考えていて、それが原因となり無意識に他者の評価を求めてしまうからだと思います。

変化するのが怖い思いも重なり、「やっぱり今のままの生活に戻ろう。」という選択をしてしまいやすいのかもしれません。

でも、ここは踏ん張りどころです。

それは、この甘い誘いに乗ってしまったら、一生つまらない人生を生きることになると思うからです。

ここは、相手の話を聞かないくらいでもいい!と思って、他の方の引き止めの場に望みました。

想定通り、引き止めは3名で3回ありました。

結構、大変ですね、3回は、、

でも、自分のコミットを試すには良い機会だと考えて、対応しました。

ここまで腹をくくっていたので、それは伝わるのか?

あまり強引な引き止めはありませんでした。

心境や状況確認程度で助かりましたね。

改めて、コミットの大切さを感じた瞬間です。

そこまでコミットしていたらから?

3名の引き止めをクリアしたあとは、とんとん拍子に仕事が減っていきました。

わたしがメインで担当するプロジェクトは、予定していた受注がなくなった?伸びた?とのことで、個人的には助かりました。

4月に伝えて、5月には退職という運びになりました。

個人的にはスピード退職!という気分でした。

色々と自分の心を試された感じがありましたが、6月からは無職の男性となりました。

やりたい事が決まっている訳ではないのですが、人生の自由を楽しめる時間になったのでした。

この記事の目次