チャレンジや自分の変化に対する怖れをなんとかしたい。
ミュージカルの本番を終えて、 失敗やミスを過剰に気にしてしまい、素直に自分の感情を表現できないことに気づきました。
この件から、「自分に素直になれない。」「本音で生きれていない。」ことが課題だと感じました。
でも、どうしたら自分の感覚や感情に素直になって生きれるのか?は分かりませんでした。
どうしても、失敗が怖かったり、うまくいかないのでは?と思ってしまい、新しい場所や出会いに抵抗も強かった状態です。
頭では今とは違う仕事や世界に飛び込みたいと思っていましたが 心が強烈に怖れを感じて行動を止めている。
当時は感情のクリアリングも知らなかったので、この怖れを適切に対処することができませんでした。
そして、また新たな刺激を求めて、様々なセミナーに通うことになります。
「自分が変わりたいという思いを、なんとか結果につなげたい!」 その思いが、私を進めていた気がします。
ただ、チャレンジや失敗が怖い状態では、大きな一歩は踏み出せず、セミナーに通うだけの「セミナーオタク」みたいになっていきました。
このままでは変われないな。と感じつつも、どうしていいか分からない。
そんなジレンマを感じながら過ごす毎日は、将来への不安でいっぱいでした。
システムエンジニアは続けれますが、面白いと感じないし、精神的にも肉体的にもきつくて辛い仕事でした。
そのまま定年まで働くのはありえないと思っているけど、 別の生き方にも進めない、分からない。 そんな状態でした。
そして、このチャレンジや自分の変化に対する怖れや不安をなんとかしないと、これ以上は進めないと思うようになりました。
そこから、心の事を学ぶのが良いと感じて精神世界の本を読み出し、自分の内面が現実を創っているという話を知りました。
当時はそんなに信じ切っていませんでしたが、間違っている感じもしませんでした。
そんな流れで、今度は精神世界のほうへ足を進めることになるのです。
「不要なものを手放すと必要なものが入ってくる。」という考え方
「自分の内面が今の現実を創っている。」という考えのもと、変化に対する怖れや、失敗することへの怖れを改善していくことにしました。
当時は「新しい自分の人生に向かってチャレンジしたいのに、めちゃくちゃ怖い、、」 そんな思いが強かった状態です。
そして、なぜ、こんなに怖れが出るのか全然理解できませんでした。 (後々、その主な原因がトラウマ(過去に経験した心の傷)だと気づくのですが。)
ただ、感覚的に自分の内面や心を改善していく必要があると感じていました。
とは言っても、精神世界についは全くの素人です。
とりあえず、大きな書店の精神世界のコーナーで、色々な本を読んで見ることにしました。
「全ては愛でできている。」
「今の自分は全て自分が創っている。」
「不要なものを手放すと、欲しい物が入ってくる。」
「起こることに全て受け入れると、幸せになれる。」
などなど、分かったような、分からないような感じの事がたくさん書かれていました。(笑)
ですので、どの内容もいまいちリアリティがなく、しっくりきませんでした。
起こることに全てありがとう。なんて思えないよ!とツッコミどころは満載でしたね。
ということで、本を読んでも内容に馴染みがなく、漠然としたものが多かったので、実際にセミナーに参加することにしました。
・胎児期から出生までの追体験をするワークショップ
・過去生の退行催眠のワークショップ
・自称、霊能者という人のセッション
・トランスパーソナル体験セミナー
思い返すと、色々と参加したものです。
ただ、自分がやりたい事を見つけるために有効だと感じるものには出会えませんでしたが、「今、不要なものを手放す」というキーワードには惹かれて、ずっと気になっていました。
とはいえ、このまま同じようなセミナーに参加してもあまり進展はないと感じ、どうしたものかと悩んでしまいました。
色々と悩んだ結果、「自分らしく幸せに稼ぐ。」という内容のセミナーに参加することにしました。
ここで、何か自分の知らない情報や出会いがあればと思ってのことです。
大勢が集まるセミナーで、なんとなく参加者は笑顔の人が多かったのが印象的でした。
ここで、人生を好転させようと思い、しばらく同様のセミナーに通うことになります。
「自分らしい」という表現が気になる。
今までやりたい事、天職、生きがいを探して行動していましたが、何か絶対的な正解を求めている感じで進展はあまりありませんでした。
ただ、「自然に関すること」というキーワードは重要な感じがしていたので、意識していました。
地球環境の自然も大事だと感じていましたが、自然体の自分も大事だと考えていた時に見つけたセミナーです。
「自分らしく稼いで生きる。」という内容のセミナーに参加することにしたのも、「自分らしく」という自然な自分を表す言葉に惹かれたのかもしれません。
実際にセミナー会場に行ってみると、みんな笑顔で楽しそうな感じがしました。
無理して作っている感じもあまりせず、自然に馴染みやすかったのを覚えています。
そこでは、自分らしさや、どう生きたいか。などのワークショップが中心で、席の周りの人たちとのシェアもありとありました。
その頃はまだまだ頭が固く、思考だけで考えて、良い答えは見つからない状態でした。
周りの人たちがとても楽しそうにワークをしているように感じ、自己否定や劣等感を感じたものです。
「自分はできない人だ。」みたいな感じです。
ただ、周りの人たちが気軽に声をかけてくれるので、そこで何か閃くものがあればと思って、頻繁に参加していました。
自分ではなく、他の誰かに答えを求めてしまっていたので、どこか依存的で、答えを持っていそうな人を探していた気もします。
その場は、みんな楽しそうでこちらも楽しくなるのですが、セミナーが終わると、「今日もやりたい事は見つからなかった。。」と現実に戻る感じでした。
今から思えば、興味が少しでもあることをチャレンジして、楽しかったか?あんまりだったか?を感じて、精査していけばよかったように思いますが、当時は新しいことは怖く、失敗も怖いメンタリティだったので、どうしても引っ込み思案な感じでした。^_^;
正直、誰かにぐいぐい引っ張ってほしい感じでしたね。
しばらくこのような状態が続き、やりたい事は見つからずに時間だけが過ぎていきました。
当時は31歳か32歳くらいで、「もう後がない、、」とかなり不安に思っていました。
今から思えば、全然やり直せる年齢なのですが、当時はそうは思えないものですね。
「将来の仕事や今後の生き方」」について不安がどんどん溜まっていった時期でもあります。
そのプレッシャーが日に日にきつくなり、日々の生活でも不安が強く出てくるようになりました。
そんな中、ある人の一言が心に響くのでした。
傷つくよりも、安心・安全が大事という思い
自分がしたい事が見つからない、、 そんな不安がどんどん大きくなっていきました。
見つけたいのに、見つからない。 どうしていいか分からないので、さらに不安になっていきました。
また、心の奥のほうでは、新しい道に進むことをビビっている自分がいました。
どうなるか分からない未知の世界。 当時の会社を退職することになるかもしれない、とてつもない不安。
それが怖くて怖くて仕方がない自分がいました。
結構、ビビリなんです、、 小さな頃から、傷つかないように、失敗しないように生きてきましたから。
自分のやりたい事や好きなことよりも、傷つかない事が優先でした。
思い返すと、もったいない子供時代、学生時代でしたね。 ずっと無難に学生をやってましたから。
でも、当時は傷つくことよりはマシだと思っていたので、仕方がありませんでした。 それ以外の選択肢はなかったですね。
どんだけ、トラウマが多かったでしょう。(笑) そんな事もあり、次の人生に進むのが怖いまま、セミナーに参加していました。
正直、誰かに導いてほしい気持ちがありました。
自分では怖くて、進めなかったので、、 そんな心の声を察してか?たまたまセミナーで会った人に 「後は、一歩踏み出すだけだね。」 と言われました。
自分の本音をグサッと言われた感じで、ショックでしたが、納得感もありました。
やりたい事が見つかったら進むのではなく まずは「やりたい事をして生きる!」と決めるのが先だったのです。
確かに次の道が見つかったら、今の仕事を手放そうと思っていましたので、、
まずは、決めること、手放すことが先なんですね。
当時は大阪のシステム開発の会社に勤めていたのですが、「自分が生きる場所はここではない。」と確信していました。
今では副業もできて、Youtubeもあるので、様々な稼ぎ方もありますが、 当時のわたしとしては、「今の囚われを手放す」ということは 「今の会社を辞める。」選択になると感じました。
会社を辞めてから(囚われを手放して)から、次の人生へ本気で進む感じです。
でも、次の宛もなく会社を辞めて、生きてけるのか?と真剣に悩みました。 そして、その状況が怖くて怖くて仕方がない状態でした。
今思えば、システムエンジニアとしての技術はあるので、再就職も全然しやすいはずですが、当時はそんな事を考える心の余裕もなく、「やばい、やばい」と思って苦しんでいました。(笑)
会社を辞めたら、家族や同僚や友達になんて思われるだろう。 社会の落伍者のようになってしまう。。
無職か、フリーターみたいな32歳は残念な生き方だと感じていました。 「世間の目」を気にしすぎていただけなのですが、当時は退職すること自体、ありえない選択と感じていました。
このまま今の会社で働くのも辛い。 でも、辞めるのはもっと怖い。
頭の中ではこの無限ループがなんかも回っていました。 答えの出ない思考です。
未知の世界へ進むので、絶対大丈夫!なんて選択はまずないでしょう。
ですので、いくら考えても、絶対に安全な新しい人生はありえないと感じます。
とはいえ、安全や安心感が欲しい思いは出てきます。 でも、それでは人生に変化は起きにくいでしょう。
残るか?進むか? 変化したいのであれば、会社を辞めるしか選択肢はないと思っていたのですが、怖れと不安がそれを引き止める。
そんな怖れが膨れ上がり、心がだんだんと耐えきれなくなっってきました。
このままだと心が壊れてしまうのでは?という状態になった時、「辞めよう。」と思えました。
心の負荷がかかりすぎて、ちょっとやけくそになっていた感じもします。 (笑)
死ぬくらいの強烈な怖れがあったので、それなら辞めるほうがマシだと判断したわけです。
なんとか、一歩前進ですね。 ただ、進んだら進んだで、また手放す必要があるものが出てきました。
母親を悲しませたくない思いが、進めない理由だった
心がはちきれて死ぬと感じるほど辛かったので、「もう、会社を辞めるしかない、、」と決めました。
「今を手放すしかない。」 そう考えたわけです。 ただ、それで素直に行動できるほど甘くはありませんでした。
というか、未知の世界がそれだけ怖かったということです。
「会社を辞めるしか、自分の生きたい人生を生きる方法はない。」と思いつつも、辞表を書くのをためらっていました。
心で思うのと、実際に行動するのとではコミットの度合いが違うのでしょう。
そんな事を考えながら、どのタイミングで辞表を出すのか考えていました。
今すぐか?
今の担当システムの納品が終わってからか?
ボーナスが出た後か?
四半期の切れ目か?
などと色々考えましたが、よい答えは出ませんでした。
そして、なぜ辞めるのが怖いのか?を考えるようになりました。
辞めることは決めたから出てきた発想なのでしょう。 これはこれで、大きく一歩進んだ感じです。
そして、辞めるのが怖い理由を探すうちに 「母親を悲しませたくない。」という思いが出てきました。
親と私で同居生活をしていたので、私がいなくなったら母親はどんな気持ちになるのだろう? と思い、母を見捨てるような感覚があり、それが引っかかっている感じがしました。
別に一緒に住まくなったらといって、親子の縁が切れるわけではありません。
なぜか、極端な発想になっていましたね。 (笑)
そして、その理由を考えていると、 親の面倒を見ない自分が非難されるのが嫌だと気づきました。
周りの評価を気にしていたのが正直なところだと思います。
また、母親は良い学校、良い会社に入るのが子供の幸せと考えて、わたしに勉強をさせていました。
だから、会社を辞めて、次に働く先が決まっていない。というのは母親の思いを無駄にしてしまうような、罪悪感もありました。
結局は「残念な息子」と思われたくない。ということになるのですが、それよりも自分の生きたい人生へ進みたい思いが強かったですね。
母親の子供への思いはありがたいものです。 ただ、それが原因で私自身が無難で喜びの少ない人生になっていいのか?と何度も考えました。
感謝はしていますが、母親のために私は生きている訳ではありません。
自分の人生ですので、当たり前の事なのですが、無意識的に親や上司、お客さんや友達のために自分の望む選択を曲げることが誰にでもあるように思います。
嫌われたくない思いがあればあるだけ、自分の軸がぶれてしまい、他人軸で生きることになってしまいます。
この時は「周りになんと言われてもいい!」と決めて進むしかないと思い、まずは母親に会社を辞める事を伝える必要があると感じました。